都立入試の発表の日、報告に来てくれた生徒(東高校合格)がボソッと言った。「学校から東を受けた男子が6人(人数はうろ覚え。5人だったかもしれない)いたんですけど、合格したのは僕と○○(塾生)だけでした」。今年の東の男子はまあまあの倍率(1.69倍)、加えて男女別定員枠の緩和が20%までに引き上げられたので、男子は合格しづらさはあったかもしれない。もちろん倍率以上の不合格者は出ないわけだから、この結果(先ほどの人数で計算すれば、この学校の男子倍率は2.5~3倍になる)はたまたまというしかないが、偏差値50ライン、都立レベルのど真ん中の学校の受験には、ある種の難しさが潜んでいると思う。
それは、ギュッとまとめて言ってしまえば、「平均レベルの学校」という位置づけがつくる「認識のずれ」によると考えている。偏差値、内申、定期テスト得点、どれにも「平均」があるが、それらは一致しているわけでなく、それなりの「ずれ」がある。こうしたずれが認識のずれにつながり、受験に影響をもたらしているのではないかということだ。
地元で言えば、東、本所が偏差値49、深川が51(進学研究会「Vもぎ」の数値)となり、イメージ的にはこのあたりが「ど真ん中」となる(ネットで検索して出て来る数値はもう少し高め。上記+5くらいで載せているサイトもある)。そして、「真ん中」のレベルなら、「平均」だったり「普通」だったり、難しくもなく、簡単でもない、穏当なレベル、というイメージをまといやすい。
しかし上記の学校、確かに偏差値は平均である50近辺だが、都立は一般入試と内申の合計1000点満点(英語スピーキングを入れて1020点)での選抜となるわけで、入試得点に内申がプラスされる。東高校の場合、偏差値のボーダーラインは49だが、それとセットになる内申は、見た目の平均である「オール3」では届かない。内申のボーダーは男子で言えば、東は42、深川は44だ(Vもぎ基準)。オール3だと換算内申は39なので、東はそれにプラス3、深川はプラス5が必要ということになる。たとえば東だと、5科に4が1つ、副教科に4が1つ、他がすべて3なら42となる(実技は2倍で換算する)。仮に副教科がオール3なら、5科のうち3つは4でなければならない。
女子に至っては、男子より内申の基準は上がる。東は46、深川は49である。オール3ではなくオール4(オール4だと換算内申は52)寄りの通知表でないと、こと内申においてはこのクラスのボーダーラインには届かない。
内申のオール3は、都立入試では平均ではない。絶対評価の通知表においては、大雑把だが、平均値はオール3に4が3つくらいあるものだと認識する必要がある(東京都のデータはここで見られる)。我々はもちろんそういう目で生徒達の成績、通知表を見ているが、やはり、生徒達本人は「オール3=平均」の意識は強い。
受験において、成績や学校の位置づけに対する「意識」の存在は大きい。意識は克己心や努力にもつながるが、プライドや意固地なあり方も生む。「平均くらいの成績(オール3)なんだから、平均レベルの学校(東、深川など)には行きたい」という意識。でも、それらの学校はオール3では届かない。次項で触れるが、オール3の実力では、内申が足りない分を実力でカバーすることは、まずできない。おおざっぱな「真ん中くらい」という認識、意識により、志望校選定がちょっと無理めなものとなり、そこに「平均レベルの学校くらいには行きたい」というプライドも相まって、苦しい受験になる、というケースも想定されるのではないだろうか。
…相変わらず全然本題に入りませんね。タイトルは「『偏差値50』の意味」なのに、偏差値の話が出てきません(笑)もう少しお付き合いください。
内申だけでなく、定期テストの結果が作る認識のずれもある。やはりここでも「平均(平均点)」に対する意識がはたらいてくる。
地元中だと、定期テストの5教科平均点はだいたい300~320点。年間このくらいの点数域で推移してきた生徒の偏差値は、まず50には届かない。45前後というのが体感である。偏差値50以上をコンスタントに取るには、定期テストで5教科400点が見える必要がある。具体的には常時380~400点くらい。いつもあと少しで400点に届かない、というような生徒は、偏差値50~55くらいで推移するケースが多い。このくらいの成績が、都立の真ん中を目指すレベルと言える。内申も、これくらいの点数を取っていないと、先ほど上げた東や深川のボーダーラインを超えない。
でも、内申と同じように、定期テストで平均(平均ちょい上)くらいの得点でくれば、「真ん中くらいの都立を受けよう」となるのはある意味当然だ。でも、平均点近辺の得点(実力)では偏差値は50に届かず、内申も、平均点くらいだとオール3程度。だから内申でも偏差値でも、「学校の平均は、入試の平均とは異なる」という認識を早めにもたないと、苦しい受験になりやすいのが現状だ。
さて、やっと偏差値の本題(笑)偏差値50というのは平均値だというのは周知だが、この「平均」は、あくまで数字上の意味合いだけで、その内実を正確には反映していないような気がしている。ここまで触れたように、偏差値50という「平均」と、学校の内申、定期テストの「平均」とにはずれがあるが、そもそも「偏差値50=平均」というのも、ある種の誤解を生みやすいありかたなのではないか、ということだ。
偏差値50の生徒は、「平均レベル」の問題まではできて、それ以上はできない、ということなのだろうか。決してそうではない。都立入試対象の模試なら、平均レベル(学校の定期テストの問題レベル。学校ワークでの標準問題)が「すべて」できれば、偏差値は60を超える。偏差値50というのは、「平均問題にできないものがある」状態なのだ。だから偏差値50レベルの生徒は、教科ごとの成績のばらつきはもちろん、同じ教科であっても、出題範囲の違いや難易度などによって、出来不出来が相当ばらついている。
偏差値50の層の生徒というのは、平均問題にできないものがあって成績の振り幅が大きい、つまり「実力が定まっていない」という状態だ。体系的な、目標に向けた努力が途上かもしくは不十分かで、力が身についていない状態。別の言い方をすれば、都立偏差値(Vもぎなど)の50というのは、「できる/できないの差が激しいが、でこぼこを均した結果50になった」という方が現状に近い。繰り返すが、学校の定期テストレベルの平均的問題がすべてできれば、都立の偏差値は60以上になるのだ。だから50前後の偏差値というのは、「平均(的問題)ならできる」ではなく、「平均(的問題)ができたりできなかったりして、実力が定まらない状態」である、というのが私の見立てである。
こういう状態での「偏差値50」で入試に臨んだとすれば、それは危うい入試になる。できる/できないが状況によって大きく異なるわけだから、本番当日に「できない日」が来ることもある。うちの生徒が偏差値50前後なら、過去問演習の点数推移をしっかり見極めたり、倍率を見た上での取り下げ再提出も積極的に利用したりするなどして、こまやかな戦略で入試に向かいたい。
冒頭で紹介した地元中の東高校の受験状況、もちろんうちの生徒のことしか分からないが、合格した生徒2人の直前の偏差値の体感(過去問の点数から推測)は、55~57くらいだった(ずっとちゃんとやらなくて、最後にギュイっと伸ばした2人!)。学校の定期テストは平均点+αくらいでずっと推移し、内申は東のボーダーより低かったから、どうしても得点力を伸ばす必要があったが、2人とも結構余裕の総合得点で合格できたと思う。これは、2人とも偏差値50ではなく、しっかりした勉強を積んで50代後半と考えられる力をつけて入試に臨めたからに違いない。
それにしても、今年の中3生はエンジンの掛かりが本当に悪く、最後の最後まで非常に危うかった。冬期講習から(!)なんとか挽回して、本番はしっかり得点できた生徒が多かったが、もっと早ければね…の思いが強い。「早く」とは、中1,中2の定期テストの取り組みから、という意味だ。定期テストのたびに苦手を放置して私に小言を言われる生徒が毎回n人…。Kさんの合格記でもちょっと触れたが、本当に私も苦しく、指導に苦慮した学年だった。もちろん、私の生徒達も苦労し悩みながらも前を向いて進んできたので、それが直前に伸びる種になっていたのだろう。最後はみな本当によく頑張って、何人も本番では1~2ランク上の学校に十分合格できる総合得点になったのだが、やはり最後に追い込んでも内申決定の時点でそれなり成績でないと出願にはつながらない。今更ながら改めて痛感した。
勉強のこだわりにはグラデーションがある。私は生徒達に常々「どうせやるならしっかりやっていい成績を取り、『僕は/私はできる!』っていい気分になろう」と言っている。また、高校入試についても「行けるところならどこでもいい、ではなく、勉強で自分を変えて、俺は/私はできるんだ、という経験を手に入れて、高校へ行こう」とも呼びかけている。こうした姿勢をこだわりと呼んでいいなら、やはり偏差値にはこだわって、「しっかりやったレベル」を目指したい。