定期テスト勉強~「教科書読み」の効能~ vol.2 「ベース学力の向上」

(続き)前回、定期テストにおける教科書読みの必要性について書いた。学習事項の理解を進めるだけでなく、教科書を読むことによって「知識を残す」ための像を作ることができ、それが受験期における知識の歩留まりに繋がる、といった内容だった。

また、教科書を読むことは生徒それぞれの言葉の力と関連があるという指摘もした。それにより教科書読みの必要性も当然のように差が出る。実際に生徒たちを見ていると、教科書をあまり読まずとも暗記が進み、かつ知識もしっかり残る生徒もいれば、そもそも教科書読みが中々進まず、かけた時間に比して効果が薄い生徒もいる。これは畢竟、言葉の力の差に他ならない。

ここに教科書読みのもう1つの目的がある。それは言葉の力の、いわば「底上げ」だ。いますぐに教科書読みの効果が目に見える形(=点数)で出ずとも、テストの成果との折り合いを付けながらそれでも決してスキップすることなく勉強に組み込んでいく。それが当該生徒の言葉や読みの力の向上、「ベース学力」の向上に繋がり、全体の成果を底上げしていくこととなる。

私は生徒や保護者の方に、よくこの「ベース学力の向上」という言い方をする。

塾での指導には大きく2通りある。1つは「今、ここでの勉強をアシストする」役割。例えば先取りをする指導なら、新単元を導入し、問題を解けるようにしていく指導や、補習的指導なら、生徒の苦手とする単元や問題を解説し、理解に導いていくことなどがそれに当たる。塾に対してまず期待される、また目に見えて形(点数)となりやすいベーシックな指導と言えるだろう。

もう1つが「ベースの学力を向上させる」役割。確かに、一つひとつの学習項目をこなしていく中で自然と身に付く力、強化されていく土台というものはある。ただ、通常の指導をするだけでは中々変化しない、当該生徒がもつ思考の癖や理解力、問題処理能力の上限というものがある。そうした「ベース」を向上させる営みもまた、塾が担うべき指導だと考えている。

ただ、このベース学力は一朝一夕には向上しない。数か月、場合によっては年単位での取り組みになるため、我々も、いや、誰よりも生徒自身が根気よく取り組めるかどうかにかかっている。加えてベース学力は生徒自身の根本的なパーソナリティや能力と密接に関わっているので、「変わらない・変えたくない・いじられたくない」領域でもあったりする。そこに手を加えるということは、塾の指導としてはある種の「危険」を覚悟しなければならない。それでも、いわばその「アンタッチャブル」に手を付けなければ学力の向上が見られない生徒はかなり多い。

例えば、いつも新単元の初手でつまずき、勉強が軌道に乗るのに時間がかかる生徒がいる。勉強には「慣れ」が解決する側面があって、できるだけ時間をかけて多くの問題をやることによって、なんとかマスターできることが多いものだ。ただ、時間と慣れによる解決だけでは、指導者として怠慢だろう。初手でつまずく要因は何かを探る必要がある。それは例えば、「集中力に欠けるので、話を聞き逃しやすい」とか「言葉の力が弱いので、一度聞いただけでは理解できず、後で何回も最初から確認することになる」とかだったりする。いずれにせよ、勉強をしていく上では抜本的に解決しなければならないことがらだ。こういう生徒には、分からない問題を解説するだけでは不十分であって、初手のつまずきの要因を把握し、そこに働きかけて改善、向上を目指す指導が必要となる。

何度も異なる機会に書いているが、「言葉の力」は勉強の根幹をなすものであり、その意味で、「ベース学力」の大事な部分をつかさどっている。我々は「言語」を用いてのみなにがしかを理解したり形にしたりすることができるのであり、その運用力はとりもなおさず、勉強における理解や思考の深さに直結する。

教科書を読んで理解することに差があることは上で述べたとおりだが、それが拙いのなら、向上させる努力はすなわち「ベース学力」向上のための営みとなる。中々理解できない箇所を、質問しながら解きほぐしていく。読めない漢字や知らない語彙も多いだろう。それも質問し、説明してもらいながら、「像」を作るための読みを丁寧に行っていく。前回の最後でも触れたように、テスト勉強の時間は限られているからいつまでも教科書ばかり読んでいるわけに行かない。理解不十分でも暗記に移らなければならないこともあるだろう。でも、そうした読みの格闘は、確実にベース学力の向上に繋がってくる。数ヶ月では変化が感じられずとも、1年、2年と継続していけば成果が出る。上で例として出した「初手でのつまずき」など、言葉の力が強化されれば徐々に解決されていくことでもある。

勉強で気を付けなければならないのは、悪い意味での「慣れ」だ。生徒たちは勉強を重ねるにつれ、「よく分からない状況」にも慣れていく。問題を解いてあまりピンとこなくとも、質問せずにやり過ごすことに慣れる。教科書を読んで分からない箇所があっても、飛ばし読みをしていくことに慣れる。こうしたマイナスの「慣れ」は勉強のあるべき姿を次第に歪めていき、いずれ矯正が難しいレベルやもう時間切れといった状況にまでたどり着いてしまう。そしてこの「慣れ」と抗うのは、中学生自身には難しい。やはり、指導者がその学習を注視し、嫌な慣れの萌芽を見たならば摘んでいく必要がある。

学習可塑性がある中学生の間にしっかりとしたベース学力を身につけておけば、高校でも努力が結果に結びつきやすい。一方でベース学力が不十分なまま高校に入学すると、思わぬ苦労をすることがある。高校部の体験入塾に来てくれる生徒の中には、残念ながらこの状態(基本的な理解力や「聞く構え」などが全くできていないなどの「ベース学力」不足)では、入塾してもなかなか成果は上がらないだろうと感じる者もいる。 やはり生徒達には、しっかりとした教科書読みによる王道学習で、ベース学力を向上させながら先々にもつながる学習法を取得してもらいたい。塾が学校以外の学習機関として存在する意義があるとすれば、それはインスタントな手法や裏技的なやり方で点数をとることではなく、当該生徒に最も必要な学習の在り方を見極め、そうした力を中長期的に身に着けさせることにあるだろう。学校は一人の教師が見る生徒の数が多いためもあって、こういう指導はなかなかされない状況にある。たかが塾ではあるが、少なくとも私はそうした指導をしていきたいし、自身の指導の根幹として据えている。

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