定期テストの困難あるいは理解力とプライド

定期テストで点数がとれない理由にはいろいろある。ここではその根本要因というか、最も解決に時間がかかる理解力の不足に焦点を当てて考えてみたい。

理解力の不足の前に(いつもの長い前置き)、一般的な定期テストの不振要因を挙げてみると、「勉強時間の不足」と「やり方がよくない」の2つに大別できるだろう(ここでは「なかなか机に向かわない」など勉強を忌避してしまっているケースは扱わない)。

前者について。入塾面談で「定期テストの点数が伸び悩んでいる」というお話をよくいただくが、通塾経験がない場合、保護者の方や生徒本人の必要勉強時間に対する認識が低い(甘い)ことがよくある。だいたいこちらが「これくらい必要」と思っている時間(学習日数)の半分くらいで済ませていたりするのだ。公立小から公立中に進学する場合、小学校時代は事前準備をして臨むテストを経験していないので、どれくらい勉強すればテストで結果が出せるのかが分からないことが多い。自ずと、生徒本人もご家庭も手探りで勉強を進めることとなり、数回定期テストを受けてみて「なんかあんまり結果が出ない」ということになったりする。こういう生徒の場合は、入塾して必要な勉強を積んでもらうと「成績爆上げ」みたいなことになりやすい。単純な時間不足なら、必要な時間に対する認識をあらためて実行すれば成果は出やすく、塾の出番は少ないとも言える。

後者について。こちらの方が多い印象だが、そもそも中学校では勉強方法を細かくレクチャーしてくれることはまれ(!)なので、勉強のやり方が分かっていない生徒は本当に多い。こちらも入塾面談などで「勉強はしっかりやっているのですが、なかなか点数に結びつかなくて」というご相談を受けたりする。相談時点で通塾中のケースもあるが、塾の指導体制によっては「塾に行っているのにやり方がおかしい(教わっていない)」ということもありうる。こちらも、入塾後に勉強のやり方を細かく教え、その通りに努力すると「成績爆上げ」現象となりやすい。成果の出やすさと塾の立ち位置は、時間が少ない場合とだいたい同じだ。

一方で、勉強時間もしっかりかけている。やり方も間違っていない。それでも点数が上がらない(ここでの「上がらない」は学校での平均点をちょっと切るくらいのイメージ)生徒がいる。それは理解力が不足しているからだ。端的に言えば、今の勉強についていくために必要な「頭のよさ」が、少しばかり欠けてしまっているのだ。

理解力が弱いということは、今やっている勉強があまり分からないということになる。分からないことが多いわけだから、こういう生徒は「教科書を読む」という作業が非常に困難だ。もちろん、形として読んではいる。だが、読んだ内容を理解するというレベルが低かったり、理解するのにものすごく時間がかかったりする。ここでの理解力とは読解力と言ってもよい。私は「読む(インプット)→理解(脳内で「分かる」状態になる。「分かる」とは、自身の経験や知識と結びつくこと)→解く・書く(アウトプット)」という一連の作業が「読解」だと考えるが、この作業がものすごく困難なのだ。試験勉強は教科書を読むところからスタートする(数学除く)わけだが、はじめから頓挫する状況に陥ってしまう。

教科書を読むのが難しい生徒は、どのように勉強を進めることになるか。生真面目な生徒は、なんとか教科書を理解しようとする。我々に質問しながら、じっくり読んで、なんとか内容を理解すべく努力する。ただし時間は有限、いつまでも教科書だけを読んでいるわけにはいかない。どこか中途半端な状態で問題集、ワークに入ることになる。ただ、問題を解いても、教科書内容がしっかり理解できていない(頭に入っていない)ので、あまりできない。丸付けをしてワークの繰り返しを行うが、理解が不足しているので繰り返してもあまり頭に入らないという状況に陥ってしまう。

中学生にも立派なプライドがあるが、「分からない」という状況は、そのプライドを大きく損ねてしまう。分からない部分や箇所は質問をすればいいと言っても、質問に次ぐ質問では、やはり気持ちが音を上げる。だから、理解力に不足する生徒ほど、教科書読みをすっ飛ばし、いきなりワークをやり出す。教科書読みをやっていないのだからワークの問題はろくに分からない。どうするか。解答を開いて、分からない問題は解答をチラ見しながらワークをやる。分からないものを写すとこれも自身のプライドを損ねる(私に見つかれば注意もされる)から、解く際は、分かる問題も分からなくて解答をチラ見した問題も、ともに色ペンで書く。「赤シートで隠して暗記をするために色ペンで書いている」という理由をつけて。

悲しきプライド。私の指示、指導を受けてなおこういう勉強をする生徒を目の当たりにすると、自身の力不足を痛感する。ここに至るまでにもっと理解力、読解力をつけてあげられていれば、こんなやり方をしなくてもよかったのだ。真面目で、でも理解に欠けた生徒がこういう勉強に堕してしまうのは、見ていてとてもつらい。

理解力は学習を積めば上がってくる。日々する勉強に真面目に向き合っていれば、文字に触れ、文章を読み、会話をする中で理解、読解の力は上がるのが普通だ。ただ、学習事項のレベルも、日々上昇する。ここで触れている理解力が不足している生徒というのは、学習レベルの上昇に、理解力の向上がついてこない生徒なのだ。自身の力もちゃんと上がってきている。真面目にやっているのだから当たり前だ。だが、学習内容の難しさが、そのレベルを超えてしまっている。中学生になり、扱う内容がどんどん抽象的/一般的になるに従って、そういう生徒も増えてくる。

こういう状況を目にすると、定期テスト対策として過去問をやらせることも、まあ分からないではない。きつい勉強をしてもなお結果が出ない生徒に、達成感と安心感だけは与えられるかもしれない。それもまた、教育的配慮と言えば、配慮かもしれない。ただ、過去問対策には理解力や読解力の抜本的向上はなく、いつかどこかでそれらと向き合わざるを得なくなる。過去問で定期テスト対策をする側は、そういうことに頓着はしない。

今日も、明日も、地道に頭を使うこと/使わせること。そこにしか突破口はない。そして生徒のプライドを守るには、指導者の役割が大きい。現状にきちんと向き合わせ、正しいやり方を諭して実践させ、そして何より随伴して安心感を抱かせ信頼関係を構築する。間違いのない正しい努力を、信頼関係をベースに一つ一つ刻ませていく。自分が今分からないことは、先生を信じてやればきっとできるようになる、そう思える関係を築く必要が、絶対にある。その資格が私自身にあるかどうか、今日も自問する。

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