行事と塾、あるいは「理不尽」と説明の力

運動会、修学旅行(帰京日)、文化祭等の行事と塾の授業が重なったときに通塾をどうするかは、御家庭、また我々塾においても、子育ての姿勢や教育観が如実に表れると言ってよい。

行事で疲れているから塾は休む?それとも疲れていても授業があるのだから行く?結論的に言ってしまえば、教育という営みに自由と選択を求めるか、「理不尽」の力を信じるかの違いだろう。もちろんどちらも塾、ご家庭の立場としてあり得るものだが、前者はご家庭、後者は塾の主張となりやすい。

どんな場面でも自由と選択が有効とする立場なら、行事の日に塾に行こうがいくまいが(来ようが来まいが)自由になる。費用を払っているわけだから、その範囲のサービスを受けるも受けないも受益者の自由である。そもそも、行事で疲れているのに塾に無理矢理行くのは、疲労と学習効率の面から考えれば極めて非効率的、非合理的とも言える。

一方、行事の後などの「きつい」時こそ頑張るという、言わば「理不尽」に向き合う姿勢が、土壇場や本番での大きな力になってくれることは間違いないことである。何かと塾を休む生徒、行事と言えば欠席の生徒が力つけるのが難しいことは、指導者なら経験していることだろう。一方、伸びる生徒、上位の生徒に共通する項を探したとき、「休まない」は必要十分的にカウントできる要素でもある。そういう経験則から「理不尽」の力を信じるのが、少なくとも私の立場でもあり、だから私は、行事がある日は、行事がある日こそは休まないようにと生徒達に諭し、保護者の方にはお願いする(入塾時に説明済みでもある)。

そもそも教育というのは非合理的で場合によっては理不尽な営みでもある。教育には強制や矯正の力が見える見えざるにかかわらずそこかしこに存在しており、それを拒否して自由を主張したら塾どころか学校教育も成立しない。ただし、有無を言わさず式はやはり現代になじむことはないわけで、「強制」があるところ、「こういうふうにすることが将来なにがしかの利益にかなう」という見通しを、生徒、保護者がもつための説得の力が存在することが不可欠だ。

私は「理由のないことはしないしさせない」とよく生徒達に言う。宿題を出すとき、指示を出すとき、また叱るときでも、「なぜ」を必ず説明する。子供達は文字通りの理不尽は耐えられない。気分で叱る先生、理由もなく大量の宿題を出す先生、意味不明な指示で混乱させる先生は信頼されない。叱られる理由、宿題の意味、指示の意図、それらには必ず理由が必要なのだ(理由が誰でも納得できるかどうかは別だが)。行事の日の通塾という「理不尽」の理由も当然説明する。欠席と成績との相関、教室の一体感、土壇場での力につながる「行動の力」。「理不尽」を強いるならそこに納得できるだけの理由が必要であり、またそれを説明する手間を惜しんではならないはずだ。

ただ、行事の後の塾に関しては、説明したからといって全員出席とはなかなかならない。成長途上の子供のことだ、疲労による体調不良は致し方ないことであり、行こうと思っていてもどうしても身体の調子が整わないこともある。ここは我々としてもいろいろな思いが交錯するところではあるが、出席を呼びかけ、その理由をしっかり説明し、その上での体調不良であれば、もうあれこれ言うことはない。次回の頑張りに期待するだけだ。

先日、中3生の多くが通う地元中の修学旅行があった。果たして帰京日は通塾日。修学旅行に行く前には改めて「理不尽」の説明をし、祈るような気持ちで当日を迎えた。昨年は複数の欠席者がいて残念だった(昨年の生徒達の名誉のために言うと、自律神経系の不安定さや偏頭痛などで平素から体調不良をたびたび訴える生徒達が、やはり疲れから同様の体調不良になってしまったのだった)が、今年は小粒な学年、説教、説諭が多い生徒達ゆえに不安でもあったが、一人も欠けることなく出席した。

中には思った生徒もいただろう。「たまたま修学旅行の最終日が塾と重なって最悪」「自分たちは日程がかぶったけど、別の中学はかぶらなかったから大変な思いをしなくて済んだ。不公平」-まったくその通り。自分たち「だけ」きつい状況はまさに「理不尽」そのもの。ただ、この「だけ」の思いを昇華させるのも指導者の務め、説得の力だ。私にその力があったのかどうかは分からない(間違いなくご家庭のご理解、ご支援が大きい)が、生徒達がそれを、少なくとも表には出さずに行動したことを私は誇らしく思った。

「塾のルールとして当然のこと、こういうのを当たり前としなければ成績向上は図れない、だからこちらの態度はいつも通り」という強い先生もおられるが、少なくとも今の私にはできないわけで、「全員そろったことに感激している。君たちのような生徒が通ってくれることを誇りに思う。まあ私の気持ちなどどうでもいいわけだが、それは伝えたい。こういう、なかなかできない『当たり前』を実行したことは、必ず君たちの力になってくれるはずだ」という話をした。歳を取って気持ちにグッときやすくなっている(笑)

「理不尽」を貫くことは時に難しい。生徒、保護者の方にとってきついことが多いし、場合によっては誤解も生む。私も歳を取ってきたので、生徒達のきつそうな顔を見るのが年々辛くなってもきている。ただ、自身が必要だと思う「理不尽」を曲げるなら塾を構える資格はない。それなら初めからやる必要のない、その程度のものなのだ。必要と信じるなら、説明の努力とともに思いを貫く姿勢を持ち続けたい。

今回もいつものごとくお堅い文章になったので、最後に行事がらみのちょっと昔のツイートを。最近はコロナもあってやらないようですが、運動会といえばその後の「打ち上げ」もセットでした。地元中の運動会を見学に行った際、私の後ろで見ていた保護者の方達のおしゃべりから。ネタのようですが実話です(笑)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次
閉じる