「割合」の落とし穴あるいは柔軟な指導

多くの生徒にとって小学5年生の算数で勉強する「割合」が大きな関門であることは、指導する側にとって、またそこを経由した保護者の方々にとっては強く実感されるところだ。割合は5年以後も様様な形で勉強の中に登場するが、私の体感では中高生でも半分くらいはきちんと理解できていないのではないかと思う。中学に入ると方程式で割合を使うのでみなそれなりに訓練はするが、割合の考え方を理解してそれを使えるかどうかというと心許ない。他教科、例えば社会(地理)で年次グラフが示され、「X年の、Y年に対する増加率」と言われてもどういう計算を用いればいいのかまったく分からなかったりする。

割合は難しい。だから小学校で、塾で、「簡便な」やり方が用いられる。例えば円に丁の字を書いて「く・も・わ」と書くやつがある(この手法は続いて学習する「速さ」でも「み・は・じ(き・は・じ)」と文字を変えて登場する)。「く」とは「くらべる量」、「も」とは「もとにする量」、そして「わ」は「割合」だ。3つの数を求める際のかけ算、割り算の関係が分かる図(円に丁の字にく・も・わ)を書いて、生徒達は問題を読み、求めるものをいわば機械的に計算することになる。

この「く・も・わ」でやると、答えは出せるようになる。時々間違えたりするが、たくさん練習すれば慣れてくるのでかなり習熟する。でも、やはり割合の意味だとか割り算の役割とかの理解は進まないので、すぐ忘れたり、前記したような「増加率」などどう求めたらよいのかまったく分からないままになったりする。そういった点からこの「く・も・わ」は少なくとも塾関係者からは非常に評判が悪い(と思う)。

また一方でよく用いられるやり方に「線分図」がある。数量を線分で表し、それぞれの関係を考えさせるというもので、線分を書いて数量関係を理解する際に視覚を介在させることで、「く・も・わ」のような機械的な作業にとどまらせないという工夫がある。今は小学校でも「く・も・わ」はあまり使われず、線分図が多いようだ。

私も基本は線分図から教えるが、これもやはり機械的な作業になっていくことがある。習熟させようとたくさん練習させると、どうしても生徒達の中に「こういう線分を書いたら割り算(かけ算)」的な短絡的な思考ができあがってしまうのだ。「く・も・わ」に比べれば線分図の方が工夫があり、理解が進む生徒は多いかもしれないが、やはり思考の抜け道、指導の落とし穴はあるわけで、そこにはまた別の理解や分析が必要だ。

断っておくと、現在私は「く・も・わ」のような単純作業に落とし込むのも、場合によっては仕方ないと思っている。昔は「『く・も・わ』なんて理解が伴わないだめな指導!反対!」なんて思っていたが、線分図だって理解できなくても進んでしまうことがあるし、「く・も・わ」を使ってでも、まずはできる経験を積ませてあげたい生徒もいる。指導は常に生徒に応じたものとこちらが理想と考えるもとのとせめぎ合いの中、動的に変化していくものであり、硬直な考え方は可能な限り排除したい。

私の考えでは、割合の難しさの根本は「言葉」だ。だから言葉による理解や言葉の運用力が弱ければ機械的な作業になってしまうし、強ければ理解も深くなる。やはり極論すれば、言葉の力こそが学力を左右すると言える。

割合を求める典型的なこういう問題、難なくこなせる生徒にとっては造作もないが、分からない生徒にとっては何のことを言っているのかさっぱり分からない。

「兄は50冊、弟は30冊本を持っている。兄をもとにしたときの弟の割合を求めなさい」

「もと」とは?「もとにしたとき」とは?そして「割合」とは?指導する側は丁寧に、それこそ噛んで含めるように解説するが、言葉の力(抽象概念である言葉から、具体的な体験などを補助輪として、「分かる」という理解に落とし込む)が弱い生徒はなかなか腑に落ちない。

もちろん、言葉の意味分かるからといって、すぐに計算ができる状態にはならないし、大抵の生徒は言葉の理解とそこで用いる計算の習熟を並行して進めていく。パターン練習による慣れや習慣に寄りかかりながら、言葉での理解を深めていくイメージだ。

ただ、パターン練習の怖さは「本当に分かっているのか否か」はなかなか見通せないところにある。ちょっと説明しただけでスラスラ進めば「この生徒は分かっている、大丈夫」と思うが、実は「あまり理解していなくてもパターンに慣れるのが早いだけ」が勉強には往々にしてある。パターン練習の有用性は非常に大きいところであるし、欠くことのできない錬成作業だが、そのマイナス面もまた決して小さくない。

だから割合は言葉で考えさせることが重要だ。パターン練習による習熟と、対面のやり取りで言葉で問いかけ、考えさせていくことの2つが欠かせない。パターン練習で「できる感」をしっかりつけてあげつつ、授業での発問と回答の流れの中でしっかり頭を使わせて言葉を鍛えていきたい。

パターン練習の落とし穴、陥穽を十分理解しつつ、パターン練習と言葉での理解、習熟をともに満たしていく。それには、今ここにある問題のでき・不出来はもちろんのこと、その先にある「こういう力を身につけさせたい」というビジョンが不可欠だ。そして先を見据えた力とそこでの指導は生徒本人への理解と働きかけが不可欠になる。

先にも書いたように指導には柔軟な姿勢がなければならない。可塑性に富む子供達に、常に理解分析を進め、こちらも変化をしながら指導に当たる必要を痛感する。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次
閉じる