密着指導の行方~21年度終了~

本日の都立入試発表をもって高校入試のスケジュールはすべて終了した。大学入試もほぼ終了し、進学塾Uineの2021年度は一つの区切りを見たこととなる。

毎年のことだが、生徒の合格はうれしいし、不合格は身を切られるように辛い。そしてそれらの内奥にある私と生徒とのリアルな関係性が、受験の結果を共有する局面で浮上してくる。受験が終わり、結果をみるということは、己の指導の「成果」を、ありのままに受け入れることでもある。

中3生も高3生も、過去最少の在籍数だった。それだけ密な指導ができたと思うが、結果が出てみると思うところは複雑だ。とりわけ中3生は人数は少ないながらもクラスの雰囲気は最高で、私を信じ慕って努力を重ねてくれただけに、涙をのんだ生徒のことを思うとこれも毎年のことだがもっとやりようがあったのではないかという後悔もなくはない。

うちは見学にきてくれた先生たちが「家族的な塾ですね」と言ってくださるように、講師と生徒たちの距離が近い。私自身、入塾希望の保護者の方に「昔いた、近所の口うるさいおじさんが先生をやっている感じです(笑)」などと軽口を叩いたりするが、実際、厳しくも密着度が高く、親身なありかたを目指している。

塾の先生の中には生徒との距離感を保った形での指導をされている方が結構おられる。実際、そうした距離感、よい意味でのドライな関係の方が、こと中学生の学習指導に関してはうまくいくことが多いし、私もそのようなあり方を模索したこともあった。ただ、塾というのは地域、そこに住む保護者の方、生徒がいて成り立つ訳であり、その地域性に即した、根ざした指導こそ学習効果につながるはずだ。我が下町、そして私のキャラクターにおいては、ドライよりもウエットな、距離感よりも親密な関係の方がより指導の成果につながると思い至り、今の指導がある。

距離が近くなると甘えが生まれやすい。それは指導における危険因子であるがゆえに距離を取る指導があるわけだが、甘えを一体感に昇華することができればむしろ力になる。二人三脚で、という言い方があるが、まさしく私が生徒を導き、また私も生徒に支えられながら指導を重ね、受験に向かってきた。

中学生は、こうした共にする歩みの形が作りやすい。それはまだ彼ら/彼女らの自我が形成途上で、私に頼る側面が強いからだと思っている。生徒が頼ってくれば、私は「自立/自律」のメッセージを発し、自分の足で歩けと叱咤激励する。もちろんそこには補助輪を用意してやることも忘れない。少しずつ補助輪を減らし、自立/自律を促して受験に立ち向かう。私に頼るという不安定な自己ゆえに、私のメッセージは明快、明確であり、生徒たちの目指すべき方向もまた明らかだ。もちろんその到達や実現はさまざまな要因に左右され、歩みは決して平坦なものではない。

一方で高校生は難しい。高校生は自我が固まってくる。時に大人の介入を無意識のうちに拒絶する。うちのように密着度が高い塾で小中学生の頃から一緒にやってきた生徒でも、高校生になるとそうした拒絶感、意識の壁を感じる局面はしばしばある。詳細は書かないが、日々の指導の局面局面において、生徒たちのある言葉に、特定のふるまいに、そうした断絶を感じることもまたある。

合格と不合格の喜びと悲しみは一様ではない。距離感の難しさ、密着指導の是と非。もちろんそれらは生徒由来ではなく、私自身の問題としてある。受験を終えた今、私自身が、生徒たちに寄りかかりすぎているのではないかという自省が、ふつふつと湧き上がってきている。

後ろ向きの反省に浸る間もなく、また生徒たちとの新たな日々が始まる。難しくとも厳しくとも、生徒たちに寄り添いともに歩む姿勢しかもてないのだろう、などと思いながら。

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