6月になり、生徒達は定期テストの準備に入っている。定期テストの勉強というと、やはり学校配布のワーク類がその中心だろう。昨今はタブレットでの問題演習も広がってきている(これはこれで問題が多い)が、今も昔も紙のワークを用いた問題演習で学習内容を定着させていくのは、勉強の「王道」でもある。ワークはたいてい提出課題でもあるので、当然のことながら生徒達の意識もそちらへと向かう。
ただ、通常授業をストップして定期テスト演習に切り替えると、いきなりワークを開いてやる生徒がいる。オイオイ、レクチャーしたやり方と違うだろ、と思いながら指摘する。「もうワークやってるけど、教科書は読んだ?」-中1生は経験が少ないので「あ…」としくじった的な反応を見せるが、中2、中3生の中には「見つかった…」的な反応をするものもいる。半ば確信犯なわけだ(笑)まあ気持ちは分かるけどね、と思いつつ、正しいやり方に矯正する。
「正しいやり方」とは「教科書を読む」ことから始めることである。数学の教科書読みはまず不要だが、他は絶対必要だ。その読み方は教科ごとにそれぞれ異なる(教科ごとの読み方、教科書の扱い方もレクチャーしてある)が、いずれにせよ、まず教科書を読んで内容を理解、またある程度内容を覚えてからワークをやる必要があると考えている。
ただ、教科書読みは面倒くさい。とにかく時間がかかるし、読んでも形に残らないため、「やった感」に乏しい。一方でワーク作業はやった分量が一目瞭然で、課題をこなせている安心感、勉強の充実感も得られる。生徒達が「いきなりワーク」に走るのも、無理なからぬことではある。
それでも教科書読みは絶対必要だ。教科書を読まずにワークをゴリゴリやったり、塾がお膳立てする各種対策(対策プリントを使った指導など)をやったりしても「定期テストなら」点数は取れるが、マイナスも生まれてしまう。
教科書を読まない勉強の最大の弊害は「知識が抜けやすい」ことだ。体感的なものだが、教科書をしっかり読む生徒は1年後、2年後でも学習内容をそれなりに覚えていることが多いのに対し、あまり読まない生徒は単元名どころか学習用語(例えば理科の「単子葉類」とか歴史の「院政」とか)を言っても「ハァ?」的な反応しか返ってこないことが多い。
教科書を読むとは、学習事項のアウトライン、枠を理解し、一つひとつの事項を関連付けながら、頭の中に自分なりの「理解の像」を作ることだ。この「像」が用語や学習事項をつなぎ合わせ、いわば定着のための「糊」となっていく。学習事項が「像」を作ると同時に、「像」によってことがらが関連付けられ、知識として強固なものになっていくという、いわば相互補完的な役割を果たす。だから「像」を作った生徒の知識は残りやすいし、また一旦忘れても復活しやすいのではないかと、私は考えている。
「いきなりワーク」には、こうした「像」の形成力に乏しい。ぶつ切りの用語や知識を、場合によっては断片的に覚えていくことが多いのだから当然だ。2週間程度の準備で臨む定期テストならそれでも8~9割は得点できる。「像」による「糊」が利いていなくても、忘れてしまう前にテストがあるからだ。でも、テストが終われば直ぐに抜けてしまう。1年後、2年後はもう一度ゼロから覚え直しだ。
1年後、2年後は「受験期」だ。受験を意識した総復習をする段になって、中1,中2範囲の抜けが大きいことのショックは大きい。中3生は業者の会場模擬テストが始まっているが、その偏差値を見れば抜けは一目瞭然になる。定期テストでは80点以上取ってきた生徒でも、偏差値50を切ってしまうことがある(特に理科、社会)。たいていが教科書読みをないがしろにしてワーク作業に頼ってきたケース(こういう生徒の勉強は、ギリギリになってやる「一夜漬け型」であったりもする)だ。やはり指導者は目先の成果だけでなく、先々を見越した指導をしなければならないと痛感する局面でもある。
教科書読みについて、あまり必要ないのではと考える人もいる。それはある意味当然で、教科書読みというのは「言葉の力」次第の側面が強いからだ。言葉の力(聞く力も含めて)がある生徒なら、学校の授業を聞くだけで頭の中にはかなりしっかりとした像が出来るだろう。それならば教科書読みはそれほど必要ないかもしれない(それでも授業だけで教科書内容は全部扱わないので、ある程度は読む必要はあるが)。いきなりワークでガンガン暗記しても、定着して残ることもある。もちろん程度問題だが、教科書読みという読解作業だからこそ、当該生徒のもつ言葉の力は成果を大きく左右し、個人差も大きいことがらであると言える。
その意味で、言葉の力が弱い中学生に教科書読みをガッツリやらせると逆効果になることもある。教科書内容が難しすぎて(実際、教科書の記述は高度で決して簡単ではない)、読みが進まないのだ。言葉の力が弱い真面目な生徒ほど、教科書読みに時間をかけるが内容が頭に残らず、勉強時間を浪費する。こうした場合は指導者が「見切り」をする必要がある。本来必要な教科書読みが出来なくともワークの暗記に移り、テストで点数を取れるよう計らってやらねばならない。指導者が今ここでの勉強しか頭にないのはよくないが、それに対する注力が必要な生徒もいることは忘れてはいけないと思う。(この項続く)