表題はもちろん、やる気が出るボタンを押す的な塾のコピーをもじったものだ(字余りだけど)。断っておくと、あのコピーは経営的にもそうだが、勉強の本質をもついた優れたものだと思う。確かに、そこを押せば瞬時にやる気が生まれる魔法のスイッチなどない。しかし、子供達にはそれぞれに、真剣な勉強が起動し始めるきっかけがある。それは容易に「見つかる」ものではないが、根気よく指導を続けながらそのきっかけをさまざまに演出していくのが我々の役割だ。そうした営みをあのようなキャッチーなコピーで表したのは秀逸だと思う。
いつもの前置きが長いが、本題は、子供達にはやる気とは異なり、いともたやすく起動する「めんどくさいスイッチ」があるということだ。それは勉強の本質でもある「同時複数処理」「段階的複数処理」がある場合に起動する。要するに、いくつもの条件を考え合わせたり、一つ、二つ、三つと考えを進めていく作業になると、とたんに滞ったりいい加減な取り組みになったりする生徒がいるということだ。あたかも「めんどくさいスイッチ」が入るように。
今日は小学6年生が数名補習に来ている。取り組んでいるのは算数、単位の換算を含んだ速さの単元だ。単位の換算、速さ、ともに中学生でもきちんとできない生徒が多い単元で、それはやはり、小学校時代に、我知らず「めんどくさいスイッチ」が起動してなんとなくの勉強で終わらせてしまったからだろう。
この単元のややこしさは2点あって、1点は「時間↔分↔秒」の換算と「時速↔分速↔秒速」の換算では、やり方が異なること、もう1点は、この2つの換算ができるようになっても、それらを用いて計算する文章題、例えば「たかし君が20㎞を走るのに1時間20分かかりました。たかし君が走る速さは時速何㎞ですか」のように、自分で何を換算するのか考えなければいけない問題があることだ。
時間、分、秒の換算は、時計の図を書かせたり、教室の時計を見させたりして、イメージを作ったり(3/4時間→45分のような換算はこれでできるようにさせる)、図で分からないものは計算の処理法を教える。これも単純暗記(「時間→分は×60で覚える!」みたいな)に落とし込まずに、数字を書きながら考えさせ、体得させる。
時速、分速、秒速の換算は、そもそもの「時速(分速、秒速)とは」をしっかり定着させる。それぞれ、単位時間あたりに進む道のりのことだと分かれば、換算は容易(なはず)なのだ。「時速は1時間あたりに進む道のり、分速は1分あたりに進む道のり、じゃあ分速と時速、どちらが道のりが長い?そう、時速。1時間は60分だから、分速を時速にするには?そう、×60をすればいいんだよね」的なやりとりをしながら考えていく。
まあこんな感じでやっていくのだが、数字感覚が弱い生徒、数字を見るのが嫌いな生徒はこうした段階的思考がすぐにめんどくさくなってしまう。「えーっと、分を時間にする、1時間は60分、×60」くらいでさっさと計算し、間違える。直すときも、×でバツだから次は÷か、くらいの適当思考でやる。速さの換算でも、こちらがいくら「時間と速さではやり方が違うよね。一つひとつ丁寧に考えよう!」と言っても、さっさと同じやり方でやって、バカスカ間違う。そう、めんどくさがり思考の生徒は、とにかく「速くやる」「速く終わらせる」という暗い欲望に突き動かされ、間違え、それを繰り返して勉強するのが嫌になっていく。
文章題になるとこうしためんどくさい思考はさらに加速する。というより、めんどくさいスイッチがあっという間に入り、手が動かないか、ものすごく適当な作業に終始してしまう。噛んで含めて説明し、同様の作業をやらせても、間違える、止まってしまう、という生徒もいる。
先ほど挙げた例で言えば、問題にある「1時間20分」の「20分」は、求められている「時速」の「時(間)」と合わないので換算しなければならない、ということを自分で気づき、考えなければならない。そう、自分で。換算だけの問題なら、「1時間20分=□時間」と、何に換算するのか指示があるが、こうした文章題にはないのだ。めんどくさい思考が動き出す生徒にとって、これはとてつもなく大きいハードルだ。ただ、ここを自力で考えなければこうした問題の攻略はない。
めんどくさい思考、めんどくさいスイッチに抗うのが我々の役目だが、それにはとにかく根気、根気、根気でじっくりやっていくしかない。方法としては1つはよく言う「スモールステップ」、単位の換算なら同じ換算(分→秒とか)をスラスラ行くまでやらせる。次に色々混ぜてやらせる、というように徹底的に1つのものに習熟させる。1つに習熟すれば小さな自信が生まれ、次への活力、めんどくさいをとりあえず後ろに追いやることができる。もう1つは、こちらも言い尽くされているが、こちらが「補助輪をつける」「途中まではしごをかけ」てやること。これは講師の持つ助言の力だ。すべてを教え尽くさない、説明し尽くさないが、生徒が考えられるところまで説明してやる。そしてそれができるようになったら、補助輪やはしごを少しずつ外していく。
こうした方法論と同時に大切なのは、「めんどくさがってはいけない」というメッセージを発すること。めんどくさいというのは勉強を入り口で拒絶する悪癖なので、それが強い生徒には、それはいけないことなのだということをしっかり伝えたい。スモールステップと補助手段で小さな成功体験を積み上げながら、丁寧に考えること、作業を行うことがいかに大切か、それによってこれからの勉強もスムーズに運ぶようになるのだという話を、ことあるごとにしていく。目の前の問題ができることの大切さと同時に、説得の力、言葉でのはたらきかけもまた大切にしたい。
補習に来ていた小6生たち、それぞれに程度の差こそあれ「めんどくさいスイッチ」を搭載している。ただ、補習に来て、丁寧に考えてやっていこうという意欲も根性もあり、それぞれのめんどくさい思考は少しずつ小さくなっているのが分かる。今最後の生徒が帰宅していった。今日もみんなよく頑張りました。